21世紀の始まりの20年間は多くの既成概念が崩壊した、まさに「失われた20年」と言えるだろう。1990年代は多くの社会主義国家が崩壊し、資本主義がほぼ世界を手中に収めたかに見えたが、その資本主義もまた度重なるバブル崩壊によりその体制基盤が大きく揺らぎ破綻した。その様は多くの経済学者が予見したようなカタストロフではなく、静かに砂の城が崩れるような緩慢な死であった。経済はその行き過ぎたグローバリズムを反省するかのように地域毎に分断され、孤立化していった。かつて強大な通貨と軍事力で覇を唱えたアメリカは沈黙し、日本は知らぬ間に中国の傘下に組み込まれた。
アメリカに限らず日本もかつての力を失い、最終的に政府は国の運営を放棄した。いわゆる、「列島割譲」である。中国の旧満州地方のごく一部と引き換えに、多摩川から西半分を中国に譲渡したのだ。名目上は自給率上昇の為の耕作地の確保と、それの代償としての割譲であったが、事実上の併合であった。
日本国民は、政府から廃棄されたのだった。
2010-03-29
2010-03-28
【プロット 001】 記憶の最小単位についての一考察
1969年、発表されながらその異端とも言える内容のため、学会から黙殺された論文があった。
Ambrose Lichtenstein(1917-1972)の「記憶(memory)の最小単位についての一考察」である。この論文では、人間の記憶の構造を説明し、その記憶をデータに変換することが将来的に可能になるであろうと結論づけている。 彼は、「人間の行動・思索は逐一その存在に刻み込まれる。その様は、まさに『行動記録(Activity Journal)』と言っていい」とし、「その行動記録の集計結果によって、現在の人格が決定されている。」としている。この説は学会らその倫理上の問題を指摘され、最終的には「黙殺」された。ただ、Lichtensteinはこの考察を東洋思想から発想を得たと言っており、その為一部の東洋思想寄りの科学者によって、この考察は(細々とであるが)補填・拡張されていった。
この一考察が実用性のある技術として広く認知されたのは、彼がこの論文を発表してからおよそ100年後のことである。
Ambrose Lichtenstein(1917-1972)の「記憶(memory)の最小単位についての一考察」である。この論文では、人間の記憶の構造を説明し、その記憶をデータに変換することが将来的に可能になるであろうと結論づけている。 彼は、「人間の行動・思索は逐一その存在に刻み込まれる。その様は、まさに『行動記録(Activity Journal)』と言っていい」とし、「その行動記録の集計結果によって、現在の人格が決定されている。」としている。この説は学会らその倫理上の問題を指摘され、最終的には「黙殺」された。ただ、Lichtensteinはこの考察を東洋思想から発想を得たと言っており、その為一部の東洋思想寄りの科学者によって、この考察は(細々とであるが)補填・拡張されていった。
この一考察が実用性のある技術として広く認知されたのは、彼がこの論文を発表してからおよそ100年後のことである。
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