2011-08-14

飯倉交差点


夜っぴて走りつづけて、もういい加減僕は疲れ果ててしまい、ちょっとした坂でペダルにどうにも力が入らない始末。桜田通りを三田方面にひた走り、ついに飯倉の交差点で僕は力尽きて、アイスクリームを食べることにした。

「ちょっと。」

僕は少し迷ってから、交差点で立哨する警察官に声を掛けた。「ここいらで、今時分、一番うまいアイスを食わせる店を知らないか?」

警察官は「そこをすすんで左に曲がって、ちょっと行った所にある。」と、こちらを一瞥もしないでいった。



ふーん・・・・・・・。



警察官が示した先はちょっとだけ坂が続き、そこにはロシア大使館があり、無数の警官が外壁の周りを警備していた。その大使館の角を曲がると、今度はちょっとした下り坂で、左右にはレンガと漆喰造りの建物が立ち並んでいた。まるで外国の町並みだ。坂をそれほど下りない内に、その店はあった。単なるコンビニエンスストアだった。僕はしてやられてたと思った。もう僕の足では坂を登って警察官に苦情を申し立てることは出来ない。仕方ないので、その店でアイスを物色したが、僕は更に落胆した、なんと一番食べたかったチョコミントが無いではないか!



・・・・・・



僕は店を出て、チョコチップのアイスクリームの封を切った。そして、その時、先程の警察官が僕を謀ったわけではないことを知った。

下りきらない坂から、眼下に大海を望むことが出来た。「粋なマネをしやがって。」

朝日で波は痛い位輝かしく、波のざわめきや体を吹きぬけるさわやかな風が僕にミントを想い起こさせた。

2011-06-20

詩辺①

橋の陰影。何かに到達する悦び。悦びと引き換えに失った過去への憂い。

2011-06-06

アラスカ


 起きたらそこはアラスカで、僕はアラスカのふんわりした野草の綿毛にくるまれていた。ひどく暖かく、ひどく不安だった。

 僕は物憂げに身を起こす。ちいさな起伏の連なりに、遥か遠い山々。近くの稜線は白・黄・青に彩られ、遠くは見たことも無いほど鮮やかな群青に縁取っていた。もうアラスカは春だった。

 光は僕の瞳孔を突き刺すことも無く、でも輝かしく、ひどく穏やかでやさしい。僕は辺りを歩いた。ちいさな起伏に見え隠れして、結局遥か遠くにいってしまうレール。でも、今はどこに行くこともない、だってこんなに太陽は穏やかで、辺りはきれいな水に溢れているのだから。小川というより、ひどく入り組んだ入り江のようで、そこかしこの草々の下には水が流れており、辺りは濡れて輝いていた。

 ここがアラスカであるという唯一の証は、灰褐色の海岸線だけ。その寒々とした色あいも生気に満ち溢れた景色と同化してひどく喜ばしかった。もうすこし先に人が住んでいるかもしれないから、そこに行ってみることにした。

 

 ひどく緩やかな稜線を一山二山越えて、途中に突然出現したバスの営業所を無視して、近代的な家が立ち並ぶ住宅街の路地を歩く。近代的とは言え、未だにカベは塗りムラを残した手塗りだし、家の端々はくすんでいた。突然鳴り出す携帯電話。「*******!!」

 「?????」

 「! ! !」

 どうやら、僕は随分長く寝てしまい、何しろ一週間ほど寝てしまっていたようだ。会社の人はひどく怒っている。さてはて、これでは不安なわけだ。僕は早速帰ってナントカしなければいけない。とはいえ、歩きで東京まではきつすぎる。せめて自転車でもあれば良かったのだが。僕の横には現地の青年が立っていた。紙は栗色で、ひどく深い青の瞳を持つ青年だった。西洋人のようにも見えるが、僕は東洋人の血が混じっていると思った。彼を見ているだけで、僕の心はさわやかな風に吹かれているようだった。僕はこの地にいる間、彼の家にお世話になっていたのだ。一緒にいてこんなに爽やかな気分になる人は今までいなかった。僕は他に帰る手段がないか、尋ねてみた(実の所、そんなに帰りたいとは思ってはいないが)。

 「ねえ」

 僕はいった。風が僕の体の中を吹き抜けていった。なんて空気がうまいんだろうか。

 「ねえ」

 空は青い。青すぎて眩暈がする。その瞬間に心が持っていかれた。

 「ねえ」

 本当は帰りたくはないのだった。

 「ねえ」

 「カラフト発、東京行きのバスが」

 


 ここはアラスカではなかった、カラフトだったのだ。だからひどく穏やかだったのだ。僕は合点が行って、その場で倒れた。
 

 

2011-02-23

決壊

 空は灰色に低く垂れ込め、強い湿気に吐き気を催す。

僕が多摩川の河川敷に住み始めたのは、かれこれ一年ほど前の話だ。その頃の僕は混乱しきりで、何かあると身の回りのものを壊してしまうものだから、自分で家から飛び出した(と思う)。気づいた時には、コンクリートの橋桁の元でぼんやりと川の流れや時折飛び跳ねる魚の飛沫の行方を目で追っていた。のどが渇いた時には川の水をすくって呑み、空腹の時には川原の草を毟って食べた。大抵の草はひどく渋かったが、何とか食べることが出来た。それより問題だったのは、水はいつまで経っても腹になじまず、捩れる様な腹痛に始終悩まされた。結局、水に慣れるまで半年は掛かった。夜はゴミ箱から拾ってきた新聞紙を何重かにして身にまとい、橋の下で寒さをしのいだ。ゴミ箱は川原近くの売店の裏手にあり、夜半過ぎにこっそり盗みにいった。ゴミとはいえ、万が一店員に見つかったしまったら命の保障は無かった。現に川原に住む何人か浮浪者仲間は店員に通報され、アサルトライフルで武装した人民兵に連行された。その後、彼らの消息はわからない。この時代において、「家を出る」ことは人間を止めることを意味した。

昼は川を渡す橋の喧騒を避けて水際の葦の中に身を潜め、夜になると食料を調達するために川原のそこかしこを徘徊した。 下流の見ると巨大な橋が架かっており、橋上の道路を行き交う車のヘッドライトが白・青・黄のラインを描き、その余韻が長く連なりまるで光の川のようだった。橋の上にはひどく高いビルが立ち並び、窓からは様々な色の光がこぼれるように溢れ、灰色の空をうっすらを染め上げていた。橋の辺りは灯りらしいものは全くない暗闇だったから、その様はまるで光の雲海の只中に立つ金色の塔のように見えた。僕は最低限の食料を確保した後は、土手に腰掛けて、ただその光の余韻をぼんやり眺めていた。

川原にはぼくと同じように暮らす人が何人かいた。皆、僕と同じように「家を出て」、戸籍を失っていた。その中で特に親しかったのが、ゲンさんと呼ばれる老人だ。ゲンさんは僕に川原での生き方を教えてくれた。売店の裏のゴミ箱のことや、渋みが少ない草の根や、昆虫・ザリガニの捕り方など、川原で食料を確保するための方法は、ほとんどゲンさんに教わった。ただし、ゲンさんはやり方は教えても、決して自分の獲物を僕に分け与えようとはしなかった。それはゲンさんの僕に対する優しさのようだった。

ゲンさんはよく昔語りをした。自分はかれこれここで二十数年暮らしていること、昔はもっと大勢の人が川原に暮らしていたこと、あの頃は賑やかだったこと。その頃は道端に落ちている空き缶やペットボトルを多く集めて回収工場に持っていくと、幾ばくかのお金が手に入ったらしい。そのお金で時にはお酒も飲めたんだよ、とゲンさんは懐かしむように目を細めた。その後、日本がどうにかなってしまってからは、もう金を手に入れる手段は無くなってしまったのだと言う。かつて都と県の境界であった川は、ある時期を境に国境になり、今や他のなにものでもない川になった。国境であった時期に、こちら側(かつて「都」側であった川原)から、大半の居住者は「県」側に移住してしまったそうだ。僕にとっては、こういったことは(おそらく)生まれる前の昔話だから、まるで御伽噺のように聞こえた。

ある薄曇の日、ゲンさんの住処(といっても、ダンボールが積んであるだけの代物だが)に行くと、ゲンさんが死んでいた。目を見開き、口から内臓を吐いていた。ひどく痛んだ髪と垢切れて黒ずんだ肌からはとても想像できないが、口から吐き出された内臓はひどく艶やかで、鮮明な赤色だった。近くの人に話しを聞くと、先般雨が降って川が増水した次の日に、ゲンさんは岸に打ち上げられた鯉を生で食べたらしい。川原の暮らしが長いゲンさんがそんな危険なマネをするとは信じられなかった。僕はその人と協力して、ゲンさんを川に流した。ゲンさんは一度とっぷりと沈んだ後、水面に浮かびながら何度か反転し、その拍子にまるで僕に手を差し伸べるような仕草をした。僕はゲンさんがそのまま遠ざかり、暗い水面に沈んでいくのを見つめた。

それからしばらくして、朝起きるとかつての「県側」の土手が決壊していた。僕がこちら側の土手に登りそちらに目を凝らすと、決壊した土手から川の水が平地に流れ込み、「県側」の陸の大半が水没しているように見えた。遠くから、馬がいななく声が聞こえたような気がした。「県側はどうなっているのだろう?」。僕は今までついぞそんな気持ちになったことはないが、ひどく興味を覚えた。向こう岸の、その又向こうはどこまで水没しているのだろうか?ゲンさんの話しによると、遥か上流にはかろうじて人が通れるほどの細さの橋があるらしい。そこを通れば、向こう岸に行くことが出来るだろう。僕は土手の上を、上流に向かって歩き始めた。

「・・・・・・・・。」

どこからか、つぶやきが聞こえてくる。僕は周りを見渡した。誰もいない。

「・・・・・・・・。」

僕は足元の草叢に視線を落とす。何か、赤いものが見えたからだ。

「・・・・・・・・。」

近づくと、すぐにそれが何か分かった。それは、ラジオだった。赤い塗装を施した、ひどく古いめかしいブリキのラジオだった。ラジオから流れるのは歌曲のようだったが、甲高く伸び上がる声がソプラノであること以外は、何も分からなかった。僕は再び歩き出した。

朝の煙るような淀んだ空気は、ほどなく真昼の日差しに掻き消されるだろう。


前口上 - 執筆を再開するのこと

思えばこのブログを書き始めたのが、2006年。かつての僕は貧窮の極みにあり、インターネットであろうが、仮にそれがイントラネットであったとしても、気づかないほどの錯乱状態にあった。そして、幾ばくかの銭を握り締め、ノートPCを買って、当時電話回線も無かったものだから、手持ちのPHSに繋いでネットの海原に飛び込んだのだった。その時から早5年。パソコンでゲームをやる以外にさしたるアイデアも持ち合わせていなかった僕は、ただただ波の間にまに、溺れそうなカモメ見つめ泣いていた、あれから早五年。

そう、気づけば五年。その頃知り合った友人は旧知の仲となり、かつての親友は遥か僻地にあり。時の流れは早いというが、その奔流に流されたのは、僕だったか、友だったか。或いは、嘗て、僕が持ち切れぬほど、持て余すほどあった創作意欲だったか?(それは殆ど形を成さなかったが)

早五年。もう五年。嘗て程の情熱もなく、ただ流され終わるをよしとせぬ、終電間際の駆け込み乗車の心地だろうか?今、三度、四度、幾度再びキーを叩く。つまりはそういうことである。

まずはFragmentsにまつわる断片を、あてどなく書き綴る予定だ。近年手習いした文書構造には目も暮れず、ただただ思いつくまま、そこはかとなく書き綴る所存。


全く読み手がいないのは承知の上。脳内探偵ならぬ、脳内口上。まずはお立会い。