当時の僕は今よりももっと貧乏で、多摩川大橋の下で雨露をしのいでいた。食い物といえば、はじめの内は雨の後に打ちあがった魚の死骸を食べていたが、顔 見知りだった丸子橋に住むゲン(本名は知らぬ)が、腐った魚を食べた後、腸を口から出して死んだのを見てから、土手の野草に切り替えた。着る物は、川崎側 の岸に住む連中が空き缶を集める為に留守にする早朝に忍び込んで得ていた(当時、まだ川崎側の連中の方が裕福だった)。
太陽はいつも橙色にぼやけ、僕の汚れた手の甲をますます黒くみせた。暮れぬ夕暮れ、それにも増して、明けぬ夜。僕は有り余る時間のほとんどを、 多摩堤の車の往来の観察に費やした。第二京浜の往来は、橋げたに寄りかかって座る僕の目線よりはるかに高いと感じられたからだ。夜見る車のヘッドライトは くっきりとした光の軌道を無数に描き出し、その光線は網膜に焼付けられて、僕を苦しめた。
ある冬のことだ。目が覚めると、多摩川の様相は一変していた。元より幅広かった川は更にその幅を広げていた。川崎側の土手は総じて削り取られ、 土手よりの地域は完全に水没していた。土手に上がると、水面より覗く幾つかの建物、マンションや団地がまるで中州の体を成し、まるで無数の支流が交錯して いる大河のようだった。向こう岸は遠すぎて見えない。小杉に経つ建設中のビルディングが、打ち捨てられたコンクリート杭のように見える。時折、どこからか 馬の鳴き声が聞こえた。
川の向こう岸はどこまでつづいているのだろう。僕は気になって少し背伸びをしてみたが、その程度では到底見通すことはかなわなかった。そこで僕 は土手沿いに上流に向かって歩いてみることにした。上流に行けば、どんな大河もやがて細くなる。そうすれば、向こう岸を見るどころか、わたることも出来る かもしれない。僕はひたすら上流に向かった歩き続けた。
「・・・・・・・」
「・・・・・・・!」
「・・・・・・・」
どこからかつぶやき声のようなものが聞こえた。耳を澄ますと、どうやら足元の草叢から聞こえるようだ。草叢には、ちらちらと赤い何かが見える。
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・!」
最初は分からなかったが、人の声のように聞こえたのは弦楽器の音のようだ。しかもこの曲には聞き覚えがある。まちがいなく、それはプーランクだっ た。弦楽とピアノとソプラノの曲だった。ちらちらと見えた赤いものは、真っ赤なメッキが施されたブリキのラジオだった。僕は一瞬それを広いあげようと手を 伸ばしたが、思いとどまった。
ソプラノのラインは突如調子を変えて、溶けるように消えた。
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